大判例

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東京高等裁判所 昭和32年(ラ)494号 決定

再抗告人 山本五郎

相手方 大平洋貿易株式会社

主文

本件再抗告を棄却する。

理由

再抗告代理人は「原決定及び本件について東京簡易裁判所がなした決定を取消す。相手方の申立を棄却する」との裁判を求め、その理由として別紙記載のとおり主張した。

再抗告理由一について、

再抗告人の抗告理由に対し、原裁判所が再抗告人主張のような理由で、これを排斥したことは、本件記録により明かである。しかしながら、再抗告人主張のような事由があつたとしても、右事由によつて調停調書の債務名義である効力を失くなさせた上でなければ、右事由によつて、直ちに本件収去命令を発すべきでないと主張することはできないのである。よつて、本件収去命令は適法なもので、この点に関する原決定の理由は多少説明が足りないとしても、右のような趣旨であつて、結局は正当で、この点に関する再抗告の理由は理由がない。

再抗告理由二について、

原決定の理由を読んでも、原裁判所が再抗告人主張のように、疎明によつて事実を認定したとは認められない。ただ本件は決定によつて裁判する事件であるから、相手方の提出した書証について一々再抗告人に認否を求めなくとも、相手方の提出した証拠によつてその成立を認定してもなんらの違法がなく、乙第一号証の記載と甲第一及び第三号証の各記載とを対比して考えれば、原審の認定したように、乙第一号証を民事訴訟法第五五〇条第四号に定める証書に該当するとは認められないのは、原決定の認定、判断のとおりで、この点に関する再抗告人の理由は、理由がない。

再抗告理由三ないし五について、

再抗告人主張のように、収去命令の対象になる建物を特定させることは、相手方が収去命令を求めるさいに、その基本である債務名義に特定させていることが必要であることはもちろんで、原決定が、抗告人にそれを明かにする必要のあるとしているのは誤りではあるが、本件記録を調べてみるに、本件家屋は「東京都中央区越前堀一丁目二十四番地宅地七十三坪九合の内東南隅約八坪の地上に存する木造トタン葺平家住宅一棟建坪約八坪の家屋」と記載されていて、それでも十分に特定していると解せられないではない。右のように約八坪とあるのは、再抗告人主張のように適確な表現ではないが、約八坪とあるからといつて、再抗告人主張のように再抗告人に収去の費用について、特に不当な経済上の負担を課するおそれは認められない。もし、不当な金額の支払を命じたような場合には、その決定に対し争えば、再抗告人の権利は十分に保護されるから、収去命令に対しては再抗告人主張のような事由では争えないと解しても、なにも、憲法に違反して再抗告人の権利を害するものでないこと明かである。よつて、原決定は相当で、再抗告人の主張は、いずれも理由がない。

よつて、原決定は相当で、本件再抗告は理由がないから、これを棄却し、主文のように決定する。

(裁判官 柳川昌勝 村松俊夫 中村匡三)

抗告の理由

一、原決定は明らかに決定に影響を及ぼすべき判断上の過誤がある。

即ち原決定は抗告人の「本件調停成立は抗告人に於て知らないところで、且つ其後昭和弐拾七年十二月一日以降相手方から別紙第一目録記載の土地を一ケ月金百九拾四円で賃借し、遅滞なく賃料を支払つている」との主張に対してそのこと自体が右調停調書の執行力が失われるわけでなく抗告人は請求異議の訴を提起して右調停調書の執行力を排除する旨の判決を得ない限りその調書に基く執行をなすことを妨げられないと判断した。

然し抗告人は右調停調書の執行力の有無を原審に於て争つてゐるのではない。本件調停調書につき執行力があるとしてもこのような場合は建物の収去命令を発すべきでないと主張してゐるのである即ち右収去命令が適法であるか否かを争つてゐるのである右収去命令が適法であるか否かは右調停調書に執行力があるか否かとは根本的に違つた法律上の判断である従つて原決定は本件の争点を誤解してゐるといわねばならない。これ明らかに決定に影響を及ぼすべき判断上の過誤を侵してゐるものである。

二、原決定は疎明のみによつて、裁判をなした法令の違背がある。

原決定は「抗告人が提出した乙第一号証には「賃貸料領収証」といふ記載も見られるけれども甲第一号証甲第三号証によれば本件調停調書第三項にいわゆる損害金の受領証として便宜上このような用紙を使用したに過ぎないものと認めらるゝ」と摘示しているが然し右甲第一号証甲第三号証については抗告人は裁判所よりその認否を問はれたこともなく全く如何なる書面であるか知らない。

又乙第一号証に記載の「賃貸料領収証」が損害金を意味するといふ証拠もないまゝにこの土地賃貸料を損害金と断定した原決定は違法である。

右のように甲第一号証、甲第三号証について抗告人の認否をも問はず乙第一号証を覆すべき人証もないのに拘らず直ちに以て本件土地の賃貸料を損害金と断定したのは証明によらず疎明のみによつて裁判をなしたことは明らかである。

即ち疎明事項は原則として法の明規するものに限られ、その他の場合は裁判をするについて証明によろうが疎明によろうがその区別はない。判決による場合が証明で決定による場合が疎明であるといふ理論上の区別はない。

本件の場合に於ては原審は進んで証明を求めて裁判をすべきに拘はらず原審は疎明のみによつて裁判をなしてゐる。これ明らかに原審は決定に影響を及ぼすべき法令の違背がある。

三、原決定はその理由の齟齬あるものである。

原決定は「抗告人は本件建物の坪数及その敷地が何坪であるかを主張せず、単に表示不確定である旨を主張するが」と一方に於て摘示し又他方に於ては「通常の場合、抗告人が主張するように表示された調書の表示で収去すべき建物を特定するに十分である云々」とあたかも抗告人が坪数を主張したかの如く摘示しこの相矛盾する事実を併立せしめて裁判の理由にしてゐる。

これ明らかに原決定の理由の齟齬を示すものである。

四、原決定は「抗告人は本件建物の建坪及びその敷地の坪数が何坪であるかを主張すべきであるとこれを要求してゐるがこの建坪並敷地の坪数を主張すべき義務あるものはその利益を要求する相手でなければならない一定の請求、又は一定の申立を裁判所になす者はその主張義務のあることは民事訴訟法の基本原則である。

原決定はこの基本原則を無視して抗告人にその主張義務を転換したことは明らかに違法である。

五、原決定は基本的人権を侵害する憲法違反の決定である。

本件調停調書第一項に記載された宅地の表示は「七拾参坪九合の内東南隅約八坪」となつており、又建物の表示は「木造トタン葺平家住家壱棟建坪約八坪」となつてゐるが原決定はこれを目して目的物は特定するに十分であると断定した。

「約八坪」の建物と土地の表示は九坪の建物又は土地を表示したことでなく、又七坪の建物、土地の表示でもない勿論八坪の建物、土地の表現でもないことは何人が読んでも明らかである。

この場合建物収去することにより生ずべき費用を抗告人(債務者)に支払を命ずる場合は如何なる規準又は計算によつて裁判所はそれが正当なることを決定するであろうか本件に於て最初東京簡易裁判所に於てその費用を決定したので抗告人は本件と同様の理由で右費用支払命令に対して抗告したところ相手方は昭和三十二年七月十日これを取下げたこのことによつても「約八坪」なる建物の収去費用が明確に計算することが不可能なることを示すものである。

建物の収去に於て八坪と七坪と九坪の建物の収去の費用は各々その価格の点に於て違ることは明らかである若し七坪の建物を収去するに九坪の費用を抗告人に支払はしむるが如き命令を発したとすればこれは明らかに裁判所が抗告人に不当なる経済上の負担を課するものである。

従つて本件の如く建物が約八坪といふが如き不確定なる表示がなされてゐる判決又は調書がたとへそれに執行力があつてもこれに基き建物収去命令並これに伴う収去費用前払命令を発したとすると上述の如く債務者に不当なる経済上の負担を課する恐れがある。

かかる建物収去命令並収去費用前払命令により抗告人の建物が収去せられ、不当なる収去費用を負担せしめらるゝことは憲法第二十九条により保障せられた財産権を侵されるものであり明らかに憲法に違背するものである。

そもそも基本的人権は現在及将来の国民に対し侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

しかも財産権は基本的人権の中の自由権であつて最大限に尊重すべきものとされてゐる。

従つて憲法第二十九条によつて私有財産の不可侵の原則が認められたのである。

自由権は個人の自由及財産について国の統治権から侵害されないことを主張しうる公権であるが憲法第二十九条によつて精神及身体の自由のほか個人の財産が侵されないことを明らかにされてゐるその結果ことに私法的財産権が債務者その他の人民の関係事件でも権利として保障されなければならない。前述の如く原決定並東京簡易裁判所の決定が抗告人に対して不当なる経済上の負担を課すことは憲法の保障する財産権を侵害する結果とならざるを得ない。

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